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これからは写真中心で行きたい

玉石混淆、玉(ぎょく)選別機

「無能の人」(つげ義春)基準

玉石混淆から、玉を選び出そうとしている人も、選ばれなかった石を慈しみ、玉を選ぶことの傲慢をなじる人も、どっちも「玉石」に絶対的な基準があると考えている点で間違っていると思う。


王(現代なら、マスコミ)が玉だと言った物だけが玉なのでは無く、自分が玉だと思う物が玉なんだと思う。
しかも、「高校生のころはなんであれを玉だと思ってたのか」「大人になってみると、くだらないと思っていたあれが、何よりも愛しい」とか、その基準は同じ人でも一定しない。

無能の人」は、玉を選んで提示するものでも、石に対するルネッサンスを仕掛けるものでもない。
っていうか、そんな能力無いし(腰砕け)。出すもんだけだして、後は人任せ。
それがWeb2.0。そんなきもち。


ところで・・・・・・・。
googleが、どんどん玉石を見分ける技術を開発していったら、「偶然の出会い(縁(エン))」はシステムに取り込まれるのだろうか。それとも、縁(エン)だけが、純粋に抽出され人々の手に委ねられるのだろうか。