練習帳@blog

これからは写真中心で行きたい

等価交換

「内田樹の研究室」不快という貨幣をよんだ(「不快交換価値説」の切れ味経由で)。

また、面白いテーマが出てきてしまった。
我慢する事=労働ととらえている(乱暴なまとめ)階層が存在するという考察。彼らなりの等価交換。

このエントリを読んで、感じた事が2つ。

  1. 「女性週刊誌」「SPA!」「ワイドショー」「橋田寿賀子のドラマ」を喜んで見るグループは、この階層なのではないかということ。
  2. 「快」をカウントし労働としている「オープンソース」「Blog」を構成する階層と対応する階層なのではないかということ(共にリアルの貨幣はその人生的な意味において必要ない)。

俺は、ワイドショーなどの芸能人の私生活暴露は、はっきり言って不快、橋田寿賀子の畳み掛けるような悪意と不幸も大嫌い。そんなものを喜んでみる人達の気持ちがさっぱりわからなかった。
が、内田さんの文章を読んで、やっと理解できた気がする。橋田寿賀子ドラマは、その不快貨幣の基準、あるいは株式市場みたいなものだったのだ!!(な、なんだってー AA略)

つまり、他人の陰口だけで結びつくコミュニティや、自分の不幸自慢を聞いてもいないのに延々つづけるやつっていうのは、このタイプの方々と考えれば、(共感はしないが)理解できるというものである。

もう一つの、オープンソースなどと対を成すという感想は、「Web2.0といっても、世界人類が全く同じ考えになるはずはない。その残された人達はどういう風に暮らすのかなぁ」という疑問に対する答えの一つだとおもう。
個人的には不幸な事だとは思うが、案外本人たちは幸なんだろう。でもきっと、両者は相互理解は絶対無理なので、その境界では長くつらい闘いが続いていくんだろうなぁ。