ロングテール=ゴミの活用!?続き
続きといいながら、続いていないかも知れん。
俺は、Web2.0とかロングテールとかが流行る以前から、ナレッジベースって言うのはとにかくデータ量が勝負だと思っていた。とにかく登録データを如何に増やすかがシステムの成功の鍵であると。
だが、これまで某社内で検討されていた「ナレッジベース」は「データの利用」のことしか考えていなかった。
- データの利用方法に合わせて、さまざまなメタデータを登録データに付加する様になっている。だから登録は非常にめんどくさい。
- データの登録コストは無視、あるいは「データベースが出来れば便利になるんだから、みんな登録するはず」と言う甘い見通しにもとづいて検討
- 現実的には、登録する人は検索せず、検索する人は登録せずということになり、ただ箱(システム)だけが残ると言う有様。
- テコ入れ策として「データ登録を義務化」したところで、件数だけの空虚なデータが増えるばかりで事態は一向に改善せず。
結果として、「検索しても必要な情報がヒットしない」⇒「検索しない」⇒「登録してもメリットがない」⇒「登録データが増えない」⇒「検索しても・・・」と言うだめスパイラルとなっていた。
ところで、最近「ロングテール」に対する疑問を示すブログをあちこちで見かけるようになってきた。
実はこれらのエントリについて俺自身消化できていないのだが、脊髄反射的には「まだ終わりと言うには早いのではないか」と思っている。ロングテールにはまだ「金鉱」が含まれているし、その「金鉱」はこれからも「ロングテール」のなかに供給され続けると言う確信がある。
それは、「供給コストは供給行為そのものが利益を生んでいる」から。あるいは「供給することで利益を生むものだけが供給されている」から。
この場合の利益は金銭的なものだけではない。個人的な満足、自身の生活行動の効率化なども含まれる。
次のエントリで、知人が開発しているシステムをもういちどまな板に載せて、このあたりのことをまとめたいなぁ(弱気)。
このエントリ、後でばっさり書き換えるかも。ごめんなさい。