練習帳@blog

これからは写真中心で行きたい

最近、本気で文意を読み取れないことがある。

歳をとったせいか、世間から取り残されているのか、雑誌のコラムや論説を読んでいるとき、どんなに一生懸命読んでも文章の意味が読み取れないことがある。
そんなことが最近立て続けにあったので紹介してみる

第27回 今も日本に息づく「誠心誠意」と「親孝行」

今じっくり読み返してみたけど、2006年4月25日に発表する意味が分からない。

このコラム、前半は談合礼賛(任侠道)、後半は児童虐待推進となっている様にしか読めない。
「現実主義に目覚めよ」といいながら、いまどきこんなことをまじめに主張する人がいることがにわかに理解できず、文章の意味をまったく掴めなかった。


現状分析は自分の身の回りの経験のみ、思想的な裏づけはすでに否定されつつある前時代のノスタルジー、自分に都合のいい部分だけを並べて礼賛記事にする、そんなやり方でこの文章は書かれているとしか思えない。つまりBlogレベル。


この記事がBlogだったらここまで混乱することはなかったと思う。天下の日経BPが立派な経歴(?)を持った日下氏に(おそらくギャラを払って)お願いして掲載した記事だから、無用な先入観を持ってしまったのが敗因なんだろう。
2006年4月25日にこのコラムをわざわざ発表する日下氏と日経BP社の意図は俺にはいまだに分からない

諜報機関のない日本はひたすら富を奪われていく

この記事もわからなかった。
ただ、この記事はインタビュー記事である上、まだ後半があるようなので、後半を読んだら理解できるかもしれない*1


でも、企画自体に無理があり、結局このまま終わるような予感がする。


なぜなら、諜報機関が本当に貧弱かどうかなんてことは、もっとも重要度の高い機密情報であるはずなので、日本が本当にスパイ天国かどうかなんて確かめようがない。
実際にスパイ天国だったとして、どれほどの富が失われているのか、どういうルートで失われているのか、それは本当にスパイが活動しているからなのかということも確かめようがない。


「前編」だけ読んだ限りでは、2ch書き込みのレベルさえ超えていない。こちらも正規の記事なのに。


読み方まちがえてますか

俺の頭がわるくなったのか、Blogsphereの覗きすぎで感覚がおかしくなっているのか、上で挙げたような文章に対して、最近強い違和感を感じるようになってしまった。
意見が違うというのとも、言葉や思想が理解できないというのとも違う感覚。
「何でそんなことを改めて言い出すのか」とか「そこまで話をしておいて、結局何を伝えたいのか」とか。


説明が難しいのだが、プロが書いたもっともらしい署名記事(コラム)なのに、執筆者の主張・意見が読み取れない、あるいは、意見らしい部分はあるがそれが意見だと思えない(当たり前すぎるとか、いまどきそんなこと恥ずかしくて誰も言わないよとか)ときに違和感を感じ、文章の意味が分からなくなって非常に疲れてしまう。


なんか、間違っているんだろうか?


この文章自身も人のことが言えるほどちゃんとはしていないってことは自覚してますんで、長い目でみて、我慢ができないようならコメントでもトラバでも好きに料理してください。>だれとはなく

*1:記事冒頭で「3回に分けて」と書いておきながら、最終ページでは「後編に続く」となっている。「前編」「後編」「外伝」という構成なのだろうか