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これからは写真中心で行きたい

「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」

これ、せめて「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」って表記にできないんだろうか。


っていうか、どうしてこうのとりのゆりかごってちゃんと呼ばないんだろう。


オウム真理教(現アレフ)」に似た心理が働いているような気がしてならない。


マスコミがそういう雰囲気を匂わせているせいで、田口ランディ氏のような誤解をしている人が無駄にたくさん居るような気がする。

こんなことを書く人もいるし・・・


何度も言うが、「こうのとりのゆりかご」が安易に育児放棄に利用されるっていうのは出産をしない男性の発想だ*1


「倫理観」が子供の命より優先されはずがない。「武士道は死ぬことと見つけたり」みたいな心意気はあるかもしれないが、そう思った本人が勝手に死ぬのは仕方がないにしても、生まれたばかりの赤子を犠牲してまでやらなければならないことではないだろう。


こうのとりのゆりかご」に懸念があるとすれば、「母親以外の人物が赤ちゃんを届ける」ケースだと思う。未成年者が頑張って産んだものの、その親(赤ちゃんからみたら祖母)が「外聞が悪い」「倫理的ではない」とかいって預けてしまうような場合だ。母親が高校生とかだったら捜索願も出せずにそのまま親に押し切られてしまうかもしれない。


いずれにせよ「『このうとりのゆりかご』が無ければ死んだかもしれない赤ちゃんが死なずにすんだ」以上の「実効性」は必要ないと思う。


「捨てられた赤ちゃんがかわいそう」とか「自分がこうのとりのゆりかごに預けられていたことを知ったら傷つく」っていうのは全く赤ちゃんのことを考えてはいないと思うんだが、それはまた別の機会に。



#ほのぼの系ブログ化挑戦失敗。

*1:これもそのうち詳しく書くかも