練習帳@blog

これからは写真中心で行きたい

いい育て方というのはなんだろう

子供に嫌な思いをさせたくないだとか、自分がいやな思いをしたくないだとかで、

子供に「暖かくなり始めたばかりのストーブ」に触らせる教育がなくなってきているように感じる。

ほとんどの親は、そんなことは考えていない。昔も今も。

「大人になるためには必要なこと」と分かっていても、わざと怪我をさせるようなことはしない。下手したら死んじゃうようなことを黙認するのは普通はできない。


「子供のうちにかかっておけば軽くすむから」とわかっていても本気で麻疹や水疱瘡をうつしてもらう親がいないのと同じ。


それに『子供に「暖かくなり始めたばかりのストーブ」に触らせる教育』ってそれが「教育」であるかぎりは、効果はないんじゃないかな。
逆に「ストーブは触ってもいいもの」とか思われてしまうかも。

塀の上を歩く子供も居なければ、勝手に人の庭に入り込んでくる子供も居ない。

・・・居ます。普通に。子供が少なくなったから目立たないだけ。うちの庭でかくれんぼするなー。

見知らぬ人に怒られる子供は社会から育てられる。

これは素人にはお勧めできない。上手にやらないとただのネグレクトになっちゃう。

怒られない子供はおそらくは一人の母親だけの価値観で育てられる。

また母親か。父ちゃんはどこ行った。

価値観の共有できない社会ほどいき辛いものは無いのかもしれない。

もしかしたら今はそういう社会なのかな?

価値観が共有できていたというのは幻想。

子供がキャッキャと騒いで、それを、うるさいぞーー!と、軽く叱るぐらいの社会にしたい。

しかられてますよ。ネットで。そして子供は外に出るな、電車に乗るな、子連れで外食するな・・・となっている。

実は、なにより自分がキャッキャとはしゃぎたい。

大人がはしゃいじゃだめだろ。
大人がはしゃいじゃうから、子供がはしゃげなくなっているのかもしれない。
大人がはしゃぎたいから、子供をはしゃがせないようにしているのかもしれない。

子供のときにはしゃげなかったから、大人になってはしゃいじゃうのかもしれない。 そしてスパイラルへ。


結局育て方が良いか悪いかってのは所詮結果論なので、子育て中は自分で判断はできないんじゃないだろうか。