「こうのとりのゆりかご」や「中絶」と男のモラルに関する無意味な話
って、40手前男が言い出切るのはやばいかも知れん。
と昨日の自分のエントリを読み返して考え込んでしまった。
自称人格者の俺は、ちゃんと避妊もするし、避妊せずに授かった子供は(ヨメさんがうれしそうに報告してくれたし、俺もうれしかったので)喜んで育てている。
で、その「自分の子供が育っていく」過程をみていて、産んですぐ捨てられる子供が死なずにすむ仕組みがあれば、もうとっととやってくれと思う。条件が合えば引き取ってもいいとさえ思っている。
と同時に、妊娠出産育児の心理的、物理的、経済的大変さもある程度身にしみているので、作らない、産まない、育てないという選択肢をとらざるをえない事情が存在することも理解できる。
なので「子供が大好き」と「こうのとりのゆりかご」や「中絶」へ賛成することに矛盾は全然ない。
が、「妊娠したぁ? さっさとおろせよ。あ?もう中絶できないって? じゃあ産んでから赤ちゃんポスト*1に預ければ?」みたいなやつだったら、確かに「モラル的に」問題があるかも知れん。
しかし、そこまで鬼畜な例を持ち出すのなら「中絶も赤ちゃんポストも絶対だめ。ちゃんと産んで育てるべきだ。」という男だって怪しいもんだ。
望まない妊娠が発覚したとたん、
曰く「ところでその子本当に俺の?」「で、幾らいるの?」
曰く「育児は母親の仕事だろ?ちゃんとやれよ。」
曰く「男だったら、ママが引き取るって」
と言い出さない保証はどこにも無い。
というわけで、こと男に関しては、妊娠・出産の負担をゼロにすることもできるので、「このうとりのゆりかご」に賛成したり反対したりすることと、「モラリスト」かどうかということに何の関係も無いという、オチも救いも意味もない話。
*1:鬼畜文脈なのであえてこちらの呼称を使ってみた