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これからは写真中心で行きたい

人間には発達段階というものがある

人間、特に子供には年齢に応じた「発達段階」というものがある。これは教育の仕方とか世の中の風潮とはあまり関係がなく、単純に脳の生物学的な発達に関連しているような印象(多分児童心理学とか勉強すれば科学的な根拠が出てくると思う)だ。

たとえば、「人見知りする」とか「離乳する」とか「歩く」とかそういうものは有名だが、「社会的ルールを持った遊び」も例外ではない。

うちの子もこんな感じだったなぁ。大人からすればまったくなぞなのだが、本人たちは別れ際に「またあそぼーねー」とか言ったりしてなんとも不思議な光景だった。

でもいつの間にか、一緒に遊ぶようになっていた。別に「友達と一緒に遊ぶための特訓」をしたわけでもないのに、相談したり分担したりしているのを目の当たりにして、再び不思議な気分になったものだ。


ついでにもうひとつ実例。

自分の子供や子供が参加しているサッカーチーム(U-6)の子供たちを見ていると、小さいころはいくら言ってもどっちのゴールにシュートすればいいのか分からなかったのに、小学校に上がるころまでにいつの間にか当たり前にこなすようになっている。


専門的な裏づけはないんだけど、多分「社会性を学ぶ」機能は、一定年齢にならないと備わってこないんだと思う。そして、その機能が備わってくれば、あとは日々の友達や両親、周辺の人間とのやり取りの中で、社会性とか、協調して行動することの楽しさを勝手に身に着けていくような気がする。

別に、幼稚園とかに責任を押し付ける気はさらさらないんだけど、せっかく多人数が集まる場なのだし、幼稚園の時間外保育(うちの幼稚園は幼保一体なので、課外時間は預かって遊ばせてくれるのです)とかで、いろいろ昔ながらの社会的な遊び(鬼ごっことか、だるまさんが転んだとか)を体験させてやってくれないかなと思う。

俺の記憶では「鬼ごっこ」も「達磨さんが転んだ」も小学生、それも2、3年生ごろに楽しんだような気がする。つまりそれ以前はやれなかったか、やってもつまらなかったのだろう。

多分幼稚園の先生もその辺はちゃんと分かっていて、「鬼ごっことか、だるまさんが転んだとか」をやらないのは、それが「昔ながらの遊び」だからではなく、発達段階として園児の年齢にふさわしくないことが理論的にも経験的にも分かっているからなのではないだろうか。




でも、西原理恵子の「毎日かあさん」とか見てても、最近の子は小学校中学年とかになるともう「Nintendo DS」とかに走っちゃうみたいなので、ちょっと心配。


いやー、うちもこないだDSを買ったんだが、目下の心配は「DSを公園に置き忘れること」「DSを滑り台で滑らして破壊すること」「DSをおいたまま回転遊具をフル回転させて水溜りに落としてしまうこと」「DSを持ったまま鬼ごっこをして友達のDSもろとも破壊してしまうこと」だなぁ。


うちの近所がまだ恵まれているだけかもしれないけど、「外で遊べないからDS」と言う子供はまだまだ結構多いと思う。「DSを持っていないと仲間はずれにされる」と言う話もあるみたいだけど、その辺のバランスを取るのは親の心がけ次第なんじゃないかなぁ。近所の公園で、遊戯王で遊んでいたはずの高学年の子供たちがいつの間にか鬼ごっこをしていたのを目撃したことあるし。

「ゲームしかしない子供」がいるとすれば、多分悪いのはゲームじゃなくてそういう環境に子供を押し込めている大人なんだと思っているんだが、この話はまた別な機会に。