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これからは写真中心で行きたい

「『いじめられっ子』にならないため」の努力が足りないからいじめられるのか

立て続けにパクリっぽいタイトルでごめんなさい。

Life is beautiful: 「『いじめられっ子』にならないためにしてきたこと体験談」大募集」のエントリの趣旨はある程度理解できる。しかし「http://d.hatena.ne.jp/ululun/20061112/think061112」の気持ちも判る気がする。



http://d.hatena.ne.jp/ululun/20061112/think061112」でid:ululunさんが何を怒っているのか本当のところはよくわからない。が、もしかしたら「「いじめられっ子ではないことを証明」した」とか「『いじめられっ子』にならないためにしてきたこと」といった言葉遣いに「こう言う気配りや根回しをしない人はいじめられても仕方が無い」というニュアンスを感じたからではないだろうか。
「いじめられっ子」がなすすべも無くいじめられている訳が無い。みんな最大限の努力をしている*1。それは絶対に否定しちゃいけないことだ。だが、「大募集」のエントリからは、「いじめから脱出できていない人々」の努力を軽視し、「更なる自助努力」を強要しているようにも感じられる。

こういうエントリを読んでいると、いじめられなかった人自慢というか、いじめを切り抜けて来たよ自慢というか、いじめを切り抜けて来る事が出来ず結果として小学校5年生から成人するくらいまでの長い時間いじめにあってきた私へのいじめなんじゃないか?とルサンチしてしまう。というかいじめでしょ。

10年以上いじめに耐え抜いてどうにか生き延びた人が、こういう感想を抱いたということをもっとよく考える必要がある。
集められた体験集で救われる人がいるかもしれないが、逆にとどめをさされてしまう場合もあることも忘れるべきではない。



それのどこがいじめなのだろうか?

これは「いじめっ子」の常套句であり、「いじめ」を語るときに一番言ってはいけない台詞だ。思慮の浅い人はさらに「この程度のことを「いじめだ」などというのは社会性が足りないのではないか」とまで言うだろう。


「いじめ」の問題への対応は絶望的に難しい。根本的な解決どころか、対症療法でさえ使いまわしは出来ないかもしれない。


他人の企画だし、善意に基づいているという面もあるので、全く筋違いで勝手極まりないことであるが、「Life is beautiful: 「『いじめられっ子』にならないためにしてきたこと体験談」大募集」に応募する人は、少なくとも以下のことを守ってほしいと思う。

  1. 自分の体験だけを語ること。誰かを救った話はだめ
  2. 他人の体験を否定しないこと。他人の体験に対するアドバイスもだめ


「いじめられる側の努力」というものが、根本的に理不尽極まりないものであるということは忘れないようにしたいと俺は思う。

*1:いじめられたくていじめられている人は、いじめられているとは言わない