練習帳@blog

これからは写真中心で行きたい

絶対服従でどうやって自立する能力を身に付けるというのだ?

どうも、この辺のことを著しく考え違いしている人が多いようだ。

①自立する力をつけ、そのための責務を果たせるようになるまで、子供は親や教師の言うことに絶対に従わなければならない。
②親や教師は、子供が自立するための能力をつけ、責務を果たす姿勢を身につけるように導かなければならない。
③親は、子供が自立するための能力をつけ、責務を果たす姿勢を身につけるようになったら、子供の選択を尊重しなければならない。

一見まともそうに見えるが、良く考えると全然まともじゃない。一言で言えば、無責任。



親や教師は、絶対に間違わないのか? 親や教師に「死ね」といわれてしまう子供たちはたくさんいて実際たくさん死んでいるわけだが。それでも絶対服従?


絶対服従させつつ「子供が自立するための能力をつけ、責務を果たす姿勢」を身に付けさせる?そんなことできるの? ブレーキとアクセルを両方目一杯に踏んでいる状態だよなぁ。

もしかして、めんどくさくなったら「そんなこといちいち聞くな」とか逆切れするタイプですか?


子供は親の鏡とはよく言ったもので、子供は親や周りの大人が普段やっている行動の通りに育っていってしまうものだ。つまり、基本が絶対服従。良くも悪くも。


だから、「俺様化した子供」が何を意味しているか良くわからないが、絶対服従した結果に他ならないわけ。


というわけで、木村センセーの上げた3つのことは全く意味無し。自分がどう育ってきたかについて全く無自覚なぶっちゃけ悪い大人の見本ですな。

あと、

そういう観点から申し上げると、今回の事件については、自立した大人であるはずの教師が、自立していない子供たちを巻き込んで、自分たちの政治的キャンペーンを繰り広げた

これもばかばかしい。子供は自立していないがゆえにこういうことに大変敏感で、「政治的キャンペーン」で行われているということについては鋭く見抜く。

「歌わせている側」の「キャンペーン的な意図」についても。

したがって、自立していない子供たちが、自立した大人である教師の指導に基づいて、日の丸や君が代を歌うことについて

日の丸や君が代を強制でしか歌わせられないような人は「自立した大人」なのか?
卒業式で「強制されて君が代を歌う」ような教師は「自立した大人」なのか?
君が代」を歌っていれば「愛国心がある」などと思うような人は「自立した大人」なのか?
子供という弱者を「絶対服従」させることしかか出来ないような人は「自立した大人」なのか?
自らの行動にも「政治的な意図がある」ことに気がつかないような人は「自立した大人」なのか?


いやもう、「「子どもいない人ほど教育への見識備える」−文科省研究で判明 : bogusnews」の言うとおりの様相だな。