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これからは写真中心で行きたい

これなんて北朝鮮?「国の指針に従えないなら公務員は辞めるべきだ」

こういう論調をなぜかやや投げやりに展開しているのを良く見かけるが、俺はそうは思わない。

もしそれを理由とすると、社歌を歌わない社員を懲戒することもまた思想・良心の自由を保障した憲法に違反することになる。まあ今時社歌を歌わせる会社もないと思うが、業務命令に反した行動を取る従業員を制裁することは、たとえその従業員が思想・良心の自由に従ってそうしたのだとしても認められている。思想・良心の自由ほどには、それに従って行動する自由というのはない。

自由はある。それは「業務命令」が間違っているときだ。
人間は誰しも過ちを犯す。それは経営者や上司といえども例外ではない。「業務命令」に従わない自由が無いとすると、誤った業務命令は永遠に訂正されないのではないだろうか。


「談合をしろ」「違法改造しろ」「リコールを隠せ」「損失を隠せ」「利益を水増ししろ」「鉄筋を減らせ、コンクリートを減らせ」・・・・。


こんな業務命令に反した従業員を制裁することは、まあ現実には行われているわけだが、俺は認めたくない。


もちろん、今回の大元の「国旗国歌強制」という「業務命令」が、上記の不祥事と同列に扱えないという考えもあるだろう。しかし、それは「業務命令」の中身に依存して判断されるべきで、「業務命令に従わない」という行為そのものを問題視してしまってはいけないのではないだろうか。



さらに、「国家」という枠組みで考えた場合、もう一つ大事なことがある。「ルールは我々が作ったもの」という大原則だ。

もし、あるルールが気に入らないのであれば、一定の手続きを行ってそれを変える権利と義務は、我々一人ひとりが持っている。

一定の範囲(公共の福祉)内で、抗議したり「嫌だという気持ち」を表明する権利がある。俺は、「お上が決めたことに対して無条件に従う」というのは民主主義に対する重大な裏切りだとさえ思う。


プロ市民」とか「統一教会」とか良く知らんが、「立った、立たない」「歌った、歌わない」くらいのことは大目に見て欲しいなぁとおもう。