練習帳@blog

これからは写真中心で行きたい

「カルトは特殊なものだ」という教義

http://med-legend.com/mt/archives/2006/03/post_812.html
から、前のエントリにたどり着いたわけですが、こちらについても一言。

このエントリ自身には激しく同意。

オウムを特殊なものだと切り離そうとする人々をみるたびに、それはあなたの精神衛生に、かなりよろしくない態度ですよと言わざるを得ないのである。

という一文は、あの当時(地下鉄サリン前夜)に感じていた、背後に静かに忍び寄ってくる恐怖を思い出させた(ので、目先の精神衛生にとっては多分切り離した方が楽)。

こんな事を書くと、このエントリ同様「ついでに、カルトは特殊なものであることはカルトの中にいた人には理解できまい」などと思われてしまうかもしれない。
でも、「カルトは特殊なもの」と言い切ってしまう人は、

  • 非常に楽天的かつ全く苦労をしていない人(幸福な家庭の中学生とか)
  • 自身がカルトまたはカルト的な何かにすっかりはまっている(たとえば「カルトは特殊なものだ」という教義とか…)

のどちらかに違いないと思ってしまう。「あれはねずみ講だけど、私たちがやっているのは違う」みたいな論理。

「カルトの内外を分ける境界を絶対に踏み越えない」「自身の所属集団は絶対にカルト化していない」という自信は、どういう根拠に基づいているんだろう。


それとも、そんな事もわからない俺は、一回医者に行ったほうが良いんだろうか*1

*1:24時間このことばかり考えて眠れなくなったりは今はしていないので、たぶん平気