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これからは写真中心で行きたい

量子的自我と格差(ポテンシャルの差)と価値

量子自我(quantum ego)とは何か
昨日書きかけて時間切れで止めたのだが、ここのところちょっと、「価値」と「格差」について考えている。
価値は資本論的に導かれるものではなく、「神の見えざる手」が操作しているのでもなく、ポテンシャル(潜在能力の方では無く、物理学での意味)が関係しているのではないか、と言う仮説である。
昨日の段階では、「価値=欲しいという気持ち×格差」という、ツッコミどころ満載の式を立て、

  • 格差が無ければ、価値は生まれない
  • 格差があっても欲しいという気持ちが無いと価値は生まれない
    • マニアックなコレクションも、興味が無い人にはただのごみでしかない

という風に考えを進めて、最終的には

  1. どんな格差でも、そこに欲しい気持ちがあれば価値を生む
  2. その格差がたとえマイナスでもやりようによっては価値となる
  3. 欲しい気持ちは十人十色なので、Web2.0的にこまかくひろくあつめることで、全てのひとがそれぞれの格差を使って価値を生み出せるのでは無いか

などを考えているのでした。
そんなことを考えているときに、「なんだか量子物理学的だなぁ」と感じていたので、見出しのエントリは、とても納得できるものでした(もっとも上記の議論は古典的な範囲でしかありませんが)。
「欲しいという気持ち」が「量子自我」または「量子自我が持つエネルギー」で、格差がさまざまなポテンシャル(の差)に対応し、それぞれが価値を構成していると考えると、結構面白い議論ができそうなのですが如何でしょうか。

ベクターポテンシャルあたりまで考えると結構面白くなりそうな気がします。

量子物理学、すこしは勉強しないと・・・。

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