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これからは写真中心で行きたい

安倍総理辞任と「動物化するポストモダン」

現職総理の突然の辞任→入院というとんでもないニュースにもかかわらず、世間ははすでに次の総裁の人選に関心が移り、死んでいなとはいえ事実上首相不在となっているということについてはほとんど触れられていない。

せいぜい「もっと早くやめるべきだった」とか「せめて国会が終わってからやめるべきだった」程度の批判くらいで、国家元首*1首相不在に対する危機感とか、安倍氏が語っていた「規範意識」とか「美しい日本」などへの批判はない。

APEC首脳会議で各国首脳といろいろな話をしたことに対する責任もほったらかし。


・・・


口ではでかいことを言っていて、調子よく引き受けるんだけど、あんまり仕事っぷりがいい加減でクレームが多いやつに、とある失敗をきっかけとして仕事から外れてもらおうとしたら


「心を入れ替えて死ぬ気で頑張りますから、どうか続けさせてください」
と土下座して懇願したので
「じゃあ、もう少し頑張ってみてくれ。必要な手助けはするから言ってくれ」
って言った次の日に、
「僕ではあの仕事は無理なので、会社を辞めることにしました」
とか電話で言ってきてそれっきり

みたいな感じ。こういう人物にありがちな、「ぎりぎりで言う」「もうちょっと早くいってほしかった」と言う点も全く同じ。


こういう奴は昔っからありふれていて別に珍しくもないが、それを総理大臣がやっちまったと言うことに大きな意義というか重大な問題があると思う。


しかも、よりにもよって、

目指すべき国のあり方として、(1)文化、伝統、自然、歴史を大切にする国 (2)「自由」と「規律」を知る、凛(りん)とした国 (3)未来に向かって成長するエネルギーを持ち続ける国 (4)世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国、を示しました。

とほざいていた張本人が、そのすべてを投げ出してしまった、個人の事情より国家、国益、国体が大事と言っていたのに、超個人的都合を優先してしまったのだ*2


ところで。


批評家の東浩紀氏は「ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2」の中で

一八世紀の末から一九七〇年代まで続く「近代」においては、社会の秩序は、大きな物語の共有、具体的には規範意識や伝統の共有で確保されていた。ひとことで言えば、きちんとした大人、きちんとした家庭、きちんとした人生設計のモデルが有効に機能し、社会はそれを中心として回っていた。しかし、一九七〇年代以降の「ポストモダン」においては、個人の自己決定や生活様式多様性が肯定され、大きな物語の共有をむしろ抑圧と感じる、別の感性が支配的となる。

と述べているが、個人的には「それでもなお、国とか政治の分野では当分は大きな物語が残るはず」と思っていた。

半径1クリック内で、見た限り「総理大臣の突然の辞職」について「職責の重さを考えれば直ちに辞任を撤回すべき」と言う論調は全くない。ほとんどが「次の総理は誰か」と言う話になっている。

これは、もうずっと以前から「内閣総理大臣」は「国と言う大きな物語」を投影するものではなく、「国と言うデータベース」の中の「一つのパーツ」でしかなかったということなだろう。



冷戦時代であれば、ほんのわずかな首相不在も許されるものではなかった。
大平総理大臣が総選挙の最中に心筋梗塞で急死したとき、即座に当時の伊東官房長官が臨時代理となった。
小渕総理の時もいろいろあったが13時間後には臨時代理が指名された。


今回はどうだろう。確かに安倍氏は死んでいないし意識もちゃんとある。だが、代表質問はできないといって国会を延期させてしまった。総理大臣としての職務を全うできていないのだ。


今この瞬間に、某将軍様の国が宣戦布告してきたら、首都直撃の地震が発生したら、誰が指揮するのか。代表質問さえできない人物に、そんな大事な指揮がとれるのか?
「数日間入院」との報道はあるが、臨時代行を置くかどうかは未定だという。


つまりはそういうことだ。
もう国家は必要ない、中央政府は別になくても構わない、そういう感覚が十分に行きわたっているのだ。すでに日本は、純粋にポストモダンの時代となり、国家すらデータベース型消費の対象になってしまったのだ。


今回の騒動は、それがはっきりと目に見える形で示されたと言えると思う。


やっちゃったなぁ。
これからは「規範意識」とか「愛国心」そういったものは「共同幻想」としても形成できないんじゃないかな。だって一番投げ出しゃいけない人がぽいっと投げ出したのに、誰もそれについて真剣に心配しない。怒っていない。
一部マニアが「シミュラークル」としてたしなむ以上には広がれないことが決定づけられちゃったと思う。



安倍氏は、「戦後レジュームの脱却」を目指していたらしいが、「戦後レジューム」を「近代」そのものと考えれば、辞任によって本当に脱却させてしまった安倍氏の名前は、きっと歴史にしっかりと刻まれることだろう。

*1:日本の国家元首ってちゃんと決まってないんだって。

*2:総理大臣は死ぬまで働けと言っているわけではないよ