命を失ってまで人権を守っても、そんな人権に意味はない
「人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。 - アンカテ」
えーーっと、攻殻機動隊(1)で、誰だったかが「殺人の被害者にも人権はあるけど、もう命がない」といっていたはず。つまり、人権ってのは命の有無とは無関係に存在しているもので、命を懸けて守るようなもんじゃない。
- 作者: 士郎正宗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1991/10/02
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草薙少佐もなんか言っていたような。 <検索中>・・・・これだ。
「モラルと現実の界面で生まれた言葉ね。理念は判るけど見た事ないわ…」
これは関係ないか。むしろ、「404 Blog Not Found:絵空事」の話に近いな。
まじめな話をすると、悪名高い「日本国憲法」でも
日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
とあるように、人権っていうのは「尊重」されるものなのだ。「侵害」されることはあっても、剥奪されたり失くしたりする物じゃない。
というわけで、俺は「自殺」と「人権」はあまり関係がないと思う。
自殺する人が奪われているのは「人権」という高次の抽象概念ではなく、もっと生臭いものだ。
俺がガキのころ自殺しようと思ったとき、奪われていたのは「存在」そのものだった。
「居場所」とか「いても良いという赦し」とか「存在価値」とか「生きる権利」とか、そんな「気持ち」的なものではなかった。
「俺」という名前、「肉体」「思想」「意見」「行動・発言の履歴」「努力」「勇気」全部否定された(と思っていた)。
「存在してはいけない」のではなく「存在していない」、禁止ではなく否定・否認・非存在・ゼロ。
システムで例えれば「あなたのIDはログインが禁止されています」ではなく「入力されたIDは無効です」ということ。先週までは普通にアクセスできたのに、心当たりも説明もないまま「登録していたこと」さえ否定されてしまう。
もし生活のすべての局面でこれをやられたら?
「逃げるな」「勇気を持て」「死ぬ気になればなんだって出来る」「がんばれ」「自分を変えろ」・・・この程度のことは自殺する奴も一通り努力していると思う。
でもいくらやっても「まだ逃げている」「勇気が足りない」「もっと死ぬ気になれ」「超がんばれ」「まだ変わっていない」としか言われなかったとしたら?
だが、自殺すると言っている件の手紙の主がこう言う状態にあったとしても、俺は「死んだ方がいい」とは絶対に言わない。
他人に「死んだ方がいい」なんて、どんな状況でも絶対に言っちゃだめだ。
月並みだが俺は彼にこう言いたい。
「良くがんばった。とりあえず自殺は延期しろ。」
「とりあえず休め。死んだつもりで休め」
「君の存在をきちんと認識し、君を一個人として正当に扱ってくれる人が圧倒的多数になった。君は成し遂げたのだ」
何? もしネタだったら?
「良かった。自殺するほどつらい思いをしていた人はいなかったんだ」
でいいじゃん。何か問題があるか?