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「情報過多が作り出す「Level1飛空挺」症候群」の見分け方

元記事は「小寺信良:情報過多が作り出す「Level1飛空艇」症候群 (1/3) - ITmedia LifeStyle」。

ざっくりまとめると、「近年の新社会人」は、

  • まだ何も経験しないうちから、情報としてはすべてを把握しているつもりになっている
  • 個別具体の経験を無視しているかあるいは少なくとも経験が無いことを軽視している

ということらしい。


口先ばかりっていうのは経験のない若者の特権みたいなもので、別に今に始まったことではないとおもう。


むしろ逆にネットで調べられる知識は当然知っているものとして扱われてしまうため、今の若い人たちは大変だなぁと思うくらい。
この記事の筆者である小寺信良氏も、「情報過多」で「経験軽視」といいながらも「このぐらいはテレビのカタログにでも書いてあることであり、調べようと思えばいくらでも手段があるはずだ」などといっている。知識を集めるのは無意味なんじゃないの?某氏ならば「矛盾がある」と噛み付くところだ。


そりゃ一部には、「それ知ってます」とか「わかってます」なんていってちっとも手を動かそうとしないやつもいるだろう。だが、研修を受けている新人の大部分はその仕事を実際にやってみたいと思って、NHKスタッフに応募してきたと思う。
そういう人を無視して「地上に降りようとしていない」などと言いきってしまうのは、いくら新人とはいえ、教える相手に対してあまりに失礼だ。
結局、小倉氏は編集分野では地べたを這いずり回ったかもしれないが、「研修」の仕事については決して地上には降りていない、つまり「研修」業務では残念ながら「Level1飛空挺」症候群にとらわれ、生徒を個別に見ようとしていないように感じられる。



こういう一見もっともらしい社会批判を見たときに、その記事が「Level1飛空挺」症候群に罹っているかどうかの見極めに俺が使っている、簡単な方法を紹介しよう。

  1. 「日本人は」「女は」「母親は」「中国人は」「韓国人は」「近年の新社会人は」(笑)などと、無自覚、無批判かつ文脈を無視して大雑把なくくりをする
  2. 身近な経験を不用意に演繹(外挿)し、上記くくりに含まれるものがすべて同じ傾向にあると断定する
  3. その論拠には、科学的な根拠はほとんど出てこない。

相対主義的で自己言及パラドックスな文章は俺の芸風なので、「じゃあ、お前のこの文章はどうなんだ」という突っ込みは甘んじて受けます。


一言言い訳をさせてもらえば、上記条件は「ある集団」にたいしてくっつけたものではなく、特定の個人ごとに判断する基準のつもりで書いている。
どういう意味かというと、小寺氏がそうだからといって「マスコミの人間は全部」こんな人ばかりだなどとは思っていない*1ということ。


まぁなんだ、こういう子供じみた大人の文章が、俺は大っ嫌いってことだ。

*1:さらにいえば、「小寺氏のこの文章」とまで限定してしまってもいいくらい。